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大阪高等裁判所 昭和55年(う)433号 判決 1981年3月06日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

(控訴趣意と答弁)

本件控訴の趣意は、弁護人熊谷尚之、同高島照夫作成の控訴趣意書、同補充書に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官武内竜雄作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

(原判決の認定事実)

原判決の認定した「罪となるべき事実」は、ほぼ公訴事実に沿ったものであって、要旨は次のとおりである。

すなわち、被告人は、昭和四三年四月から岡崎工業株式会社大阪支社建設事業部大阪地区建設事業所長、同年一一月から同建設事業部大阪建設統轄部長、次いで翌四四年一〇月からは同大阪支社の建設統括本部長として、いずれも同支社が請負う建設工事に関する請負契約の締結、工事の施行ならびにこれに伴う請負代金の請求、受領等の業務を統括していたものであるが、同支社では昭和四三年八月二八日株式会社日動(代表取締役A)との間に同会社を注文者とする芦屋市南宮町六五番地に地下一階、地上一〇階建(一部塔屋三階建)鉄骨鉄筋コンクリート造りマンション一棟の建築工事請負契約(請負代金四億一、三〇〇万円)を締結し、被告人の指揮監督の下にその工事を施行していたところ、同工事につき基礎部分のコンクリート打ちが終了し、地下一階部分の仮枠建込みにとりかかろうとした翌四四年四月初めころ、先に建方を終了していた第一節鉄骨柱の地下一階部分の寸法が、設計図面所定の寸法より一五〇ミリメートル不足していることを知ったが、右鉄骨柱の寸法不足を修補せずに工事を続行すれば、地下一階の階高の寸法に一五〇ミリメートルの不足をきたし、かつ、一階床面の位置が一五〇ミリメートル低下し地面とほぼ水平となることとなって到底注文者側の容認しないところであることを認識しながら、前記Aら注文者側関係者が、右鉄骨柱の寸法不足の事実に気付かず、工事が設計図面どおりに実施されているものと誤信しているのを奇貨とし、あくまで右寸法不足個所の修補をせず、かつ注文者側にその事実を告知しないまま工事を続行し、注文者から約定の請負代金の部分払いを受けようと企て、右工事の監理技師(工事監理者)である株式会社武内建築事務所の専務取締役Bらと共謀のうえ、昭和四四年四月三〇日から同年九月三〇日までの間四回にわたり神戸市生田区加納町二丁目一八番地所在の株式会社日動の事務所において、前記のように鉄骨柱に一五〇ミリメートルの寸法不足が存し、且つこれを修補しないまま工事を施行しているとの事実を告知せず、工事が設計図面どおりに実施されているもののように装って、情を知らない部下の営業部員を介してAに対し請負代金の部分払いを請求し、よってそれぞれその頃同所において、その旨誤信している同人から株式会社日動代表取締役A振出名義の約束手形合計一二通(額面合計一億三二〇万円)の交付を受けてこれを騙取したものである、というのである。

(控訴趣意に対する判断)

一  控訴趣意第一点について

(一)  論旨は、建方が済んでいた本件マンション地下一階部分の階高が設計図面所定の寸法より一五〇ミリメートル不足していた旨の原判決の認定に関する事実誤認の主張であって、要するに、右設計図面のうち構造図三七図(鉄骨架構図)に地下一階の階高が三、一五〇ミリメートルと記載されていたところに従って建方を進め、二階から四階迄の鉄骨部分を建てた後、地下一階のコンクリート打設のための仮枠建込工事に着手した際、設計図面中の意匠図等には右階高が三、三〇〇ミリメートルと記載されていることが判明したため、工事施行者たる岡崎工業株式会社(以下、単に岡崎工業という。)の側では、監理技師たる株式会社武内建築事務所(以下、単に武内建築事務所という。)と協議し、同事務所からそのまま工事を続行するよう指示されたことにより本件工事請負契約約款一二条にいう設計図面についての疑義が解消して右階高が三、一五〇ミリメートルに確定したのであるから、原判示のような階高不足は存在しなかった、というのである。

(二)  原判決挙示の証拠により、右論旨に関する本件マンション建築の経過をみると、次のような事実が認められる。

(1) 株式会社日動(代表取締役A。以下、単に日動という。)は、昭和四二年芦屋市南宮町六五番地の所有地に本件分譲マンションを建築する計画を立て、武内建築事務所に設計を依頼して昭和四三年七月に設計図が完成した。

(2) 右設計図によると、本件マンションは、地下一階、地上一〇階建、一部塔屋三階建、鉄骨鉄筋コンクリート造りであって、地下一階の用途は、当初は主としてガレージと予定されていたが、後に貸店舗、貸倉庫、機械室などに変更された。日動では、初め地下一階の階高を三、一五〇ミリメートルとする構想を持ち、その旨を設計者たる武内建築事務所に伝えており、同事務所の依頼により設計図中の構造図関係の作成と構造計算とを担当した神戸建築技術研究所でも、右の階高を前提として作業を完成していた。しかし、その後日動では、地下一階の階高を三、三〇〇ミリメートルに変更することとして武内建築事務所にその旨を指示し、完成した設計図にも構造図三七図(鉄骨架構図)を除いてすべてその数値が記入されていたが、右三七図には三、一五〇ミリメートルの階高を前提とした元の数値が記入されたままであった。しかしながら、設計図全体を見れば設計者の意図が三、三〇〇ミリメートルであったことは容易に了解することができたばかりでなく、三七図には地下一階の床と地中梁の関係などが明確に図示されておらず、地中梁天端から地下一階天端までが三、三〇〇ミリメートルであるように記載されていたにとどまるのであるから、岡崎工業側が右三七図を利用するにあたっては、すくなくともその指定寸法が地下一階の床の厚さを含むものか否かにつき十分に注意を払ってしかるべき状況であった。

(3) 日動は、昭和四三年八月二八日岡崎工業大阪支社との間に本件マンションの建築工事請負契約を締結し、監理技師には武内建築事務所をあてた。この請負契約によると、(イ)工期は、同年一〇月一日から昭和四五年三月三一日までの一八か月間、(ロ)請負代金は、四億一、三〇〇万円、(ハ)工事代金の支払条件は、昭和四三年一二月から一五か月間は毎月末日に一六か月サイドで額面二、五六〇万円の約束手形を分割発行し、最終回は竣工登記完了時に額面一、七七四万円の約束手形を発行して行うこととし、保証金は八二六万円とするが、工事期間中工事が所定の工程表より遅延した場合はその月の手形発行は翌月末日に繰越すものとする、(ニ)設計図面又は仕様書について疑義があるとき又は図面と工事現場の状態が一致しないときには岡崎工業は直ちに監理技師たる武内建築事務所に通知しなければならず、武内建築事務所はこの通知を受けたときは直ちに調査をして岡崎工業に対し指図を与えるものとし、この場合に工事の内容、工期又は請負代金を変更する必要があるときは日動、岡崎工業、武内建築事務所が協議して定める(工事請負契約約款一二条)、(ホ)施工について契約に適合しない部分があるときは、武内建築事務所の指図によって岡崎工業はその費用を負担して速かにこれを改造する責を負うが、契約に適合しない施工が右事務所の指図によって生じたときには、岡崎工業は原則としてその責を負わず、その施工について岡崎工業に故意又は重大な過失があるときには例外としてその責を負う(前約款一三条)などと定められていた。

(4) 岡崎工業大阪支社では建築部次長Cを本件現場作業所長として建築作業にとりかかった。そして、同人のもとで計画、実施された基礎工事の段階では、地下一階の階高は三、三〇〇ミリメートルと予定されており、その寸法に合わせた仮枠などが用意されていた。しかし、鉄骨の製作を豊南製作所に下請けさせ、昭和四三年一〇月七日、岡崎工業からは右C外一名、武内建築事務所からはD、神戸技術研究所からはEが立会ったうえ現寸検査を行わせて第一節鉄骨を製作させた際には、豊南製作所が右三七図を基に作業を進めていたにかかわらず、自社の右Cはもとより現寸検査に立会った者の誰もが右三七図の寸法が他の図面の寸法と相違していることに気付かず、これに気付いたのは昭和四四年四月初めであって、その時はすでに地中梁と地下一階床のコンクリート打設と四階までの鉄骨の建方とが済んでいた。

(5) 当時岡崎工業大阪支社建設事業部大阪建設統括部長であった被告人は、同事業部建築部長Fから、地下一階の階高が意匠図などの寸法より一五〇ミリメートル低くなっている旨の報告を受け、同人に対しこのまま工事を続ける方向で武内建築事務所の専務取締役Bと協議するよう指示した。そして、Bが岡崎工業と共同歩調をとり右階高不足について手直し工事を行なわず、かつ、これらの事情を日動側に伝えないまま本件工事を続行する意向であることをFから聞き、これに従ってそのまま工事を続行するよう命じる一方、岡崎工業大阪支社長にはそのことについて日動側の了解を取付けている旨虚偽の報告をした。その後、同年一一月一九日日動の代表取締役Aが偶然右階高の相違を知るに至り、工事は一時中断したが、同人が地下一階の階高を現況のままにして工事を続行することを承認したため工事は再開された。しかし、塔屋部分の建築確認が容易に得られないことや代金の支払方法等をめぐり日動と岡崎工業との間に紛争が生じたため、昭和四五年一月末日に工事は中止された。

(三)  以上の事実経過を基礎として論旨を検討するに、所論はまず日動と岡崎工業との間に締結された本件請負契約において当初地下一階の階高が三、一五〇ミリメートルか三、三〇〇ミリメートルかが未確定の状態であったと主張するのであるが、右契約による地下一階の階高が三、三〇〇ミリメートルであったことは、本件設計図のうち構造図三七図(鉄骨架構図)を除く意匠図等の図面にその旨の寸法の指定があり、これらと比較対照すれば注文者の意図が三、三〇〇ミリメートルであったことが直ちに了解できる状況であったこと、現に岡崎工業の前記Cが本件マンションの基礎工事の工法を指示した際には三、三〇〇ミリメートルの階高を前提としていたこと、その後の工事においても岡崎工業側では三、三〇〇ミリメートルで建方が済んでいると思い込んでその寸法の仮枠を地下一階に搬入しており、これがはまらないため初めて階高の不足を知るに至ったこと、階高の相違に気付いた後岡崎工業及び武内建築事務所の関係者はすべて階高が注文より不足していたことを当然の事実と認めて事態の収拾に向け行動していたこと(この認定に反する被告人ほか岡崎工業側の者の原審公判廷における供述は、捜査段階の供述と対比して措信することができない。)などの事実に徴して明らかであるから、右主張は採用することができない。そうしてみると、本件は、前記工事請負契約約款一二条にいう設計図面について疑義がある場合にはあたらず、同約款一三条にいう施工について契約に適合しない部分がある場合にあたるから、岡崎工業側の階高不足の通知に対し監理技師たる武内建築事務所がそのまま建築を続行するよう指図したからといって、右階高の契約内容が三、一五〇ミリメートルに確定したとみることはできない。したがって、その余の所論、すなわち、構造計算が三、一五〇ミリメートルを前提としてなされていたこと、ジャッキアップにより三、三〇〇ミリメートルに修補することは耐力、強度の面でも問題があり、施工技術の面でも不可能に近かったこと、階高が一五〇ミリメートル低くなっても本件マンションの使用に支障がないこと、三、三〇〇ミリメートルとした場合の建築確認が下りていなかったことなどの主張につき判断を加えるまでもなく、論旨は排斥を免れない。

二  控訴趣意第二点、第三点、第六点、第七点について

(一)  論旨は、本件マンションの地下一階に一五〇ミリメートルの階高不足が生じている事実を日動に告知せず、工事が設計図面どおりに実施されているように装って請負代金の部分払いを請求したことが欺罔行為にあたり、これに基づき約束手形を受領したことが騙取にあたるとした原判決の認定、判断に対する事実誤認、法令適用の誤の主張であって、要するに、(イ)右の階高不足による影響は地下一階において大梁をくぐる部分のダクトの位置が低下することのみであって、それ以外に本件マンションの効用が低下し又はその使用目的に支障が生じるおそれは皆無であったから、右の階高不足は民法六三四条一項但書にいう瑕疵が重要でない場合に該当し、したがって、これを告知しなかったことは欺罔行為にならない、(ロ)右階高不足は、注文者たる日動が岡崎工業に与えた構造図三七図の寸法の誤記に起因するから、民法六三六条にいう注文者の与えた指図によって生じたものであって、請負人たる岡崎工業に瑕疵担保責任は生じないから、これを告知しなかったことは欺罔行為にあたらない、(ハ)請負人の工事に瑕疵がある場合であっても、注文者は請負人に対し瑕疵修補請求権、損害賠償請求権を行使して同時履行の抗弁をなし得るのみであって、工事代金の支払を拒むことは許されないのが民法上の原則であるから、本件の場合、岡崎工業は、請負契約に定められた工程表又は工事の出来高に従い、工事の目的物に瑕疵があると否とを問うことなく、直ちに日動に対し請負分割代金の支払いを請求しうる立場にあったのであり、本件約束手形を請求し受領したのは正当な民事法上の行為というべきであって、欺罔行為は存在しない、(ニ)岡崎工業は、階高不足を知るや直ちにその事実と階高不足の原因が構造図三七図の寸法指定に起因することを監理技師たる武内建築事務所に告知して工事請負契約約款に基づく指示を求め、その指示に従いそのまま工事を続行したのであって、その行為は社会的相当性を帯びているから、岡崎工業が注文者日動に直接瑕疵を告知しなかったことをもって欺罔行為にあたるということはできない、(ホ)被告人には本件約束手形を請求し受領する権限がなかったし、これを請求、受領した事実もなかった、というのである。

(二)  以上の論旨に共通する問題として、まず、請負人たる岡崎工業が負うていた一般的な瑕疵修補義務の内容特にその履行と注文者たる日動の分割約束手形の支払義務との関係について考察するに、民法上の請負の原則によると、請負代金と仕事の目的物の引渡しは同時になされるべきものであり、請負人が完成させた仕事の目的物に瑕疵がある場合でも、注文者は請負人に対して請負代金を支払うべき義務を免れることはできず、請負人に対し瑕疵修補請求権、損害賠償請求権を行使してこれらと代金支払との同時履行を主張しうるにとどまるのであり、また、右の瑕疵が重要なものでなく修補に過分の費用を要するとき又は瑕疵が注文者の与えた指図によって生じたときには、注文者は、瑕疵修補請求権も同時履行の抗弁権も付与されない(民法六三三条、六三四条、六三六条参照)。

ところが、本件の場合には、前記一の(二)(3)(ハ)(ホ)のとおり、請負代金につき、工事の完成前に代金を約束手形により月割りで支払うこと及び工事が所定の工程表より遅延したときにはその月の手形発行を翌月に繰越すことが約定されていたほか、瑕疵修補義務につき、施工が契約に適合しないときには岡崎工業がその負担で速かにこれを改造する義務を負うことなどが約定されていたから、前記の民法の規定は、右約定の限度で適用を排除されることになる。

そこで、本件約定の趣旨を前記各論旨との関連においてさらに考究するに、まず、論旨(イ)に関連する民法六三四条一項但書すなわち瑕疵が重要でない場合において修補が過分の費用を要するときは瑕疵修補請求権が生じない旨を定める規定については、その特約と認めるべきものが本件約定中に存在せず、他に右規定の適用を排除したとみるべき根拠は見あたらないから、右規定は本件契約にも適用があると解するのが相当である。次に、論旨(ロ)に関連する民法六三六条すなわち注文者の与えた指図によって生じた瑕疵に対しては担保責任を負わない旨の規定についてみるのに、本件約定中には注文者の与えた指図によって瑕疵が生じた場合における請負人の担保責任を直接に定めた条項こそ存在しないが、前記一の(二)(3)(ホ)のとおり監理技師の与えた指図によって瑕疵が生じた場合における請負人の担保責任についての条項があり、この条項は監理技師が設計図面に基づいて施工することを請負人に対し指図した場合にも適用があると解されるので、右論旨に関してはこの特約のみを考慮すれば足りることになる。さらに、論旨(ハ)及び(ニ)についてみるのに、本件では請負工作物の完成前における瑕疵修補義務、代金支払義務等が問題となるのであるから、民法の原則の適用はなく、専ら前記特約が関係するところ、工事に瑕疵がある場合でもその修補前に注文者たる日動に工事代金の分割支払義務が右の約定上生じるものとすれば、日動は瑕疵の修補がなされないまま工事の完成時までに代金全額の支払いを義務づけられ、請負人たる岡崎工業に対し瑕疵修補請求権等を行使してその履行と代金支払いとの同時履行を主張する民法上の権利行使の機会すら奪われることとなるが、この結論は、日動の代金分割支払義務と岡崎工業の瑕疵告知義務、瑕疵修補義務とがあわせて約定されている本件契約の趣旨に明らかに反している。したがって、前記特約においては、工程表所定の工事が終っている場合であっても、その工事に瑕疵があるときには、日動は岡崎工業がその修補又はこれに代わる義務の履行をするまで分割代金の支払いを拒絶することができる旨が約定されていたものと解するのが相当である。このことはまた、現に日動が、約束手形を発行するに先立ち工程表所定の工事が終っているか否か及びその工事に瑕疵があるか否かにつき一応の検査をし、瑕疵があるときには修補をさせた後に約束手形を発行していたという前記証拠上明白な事実によっても裏付けられている。

(三)  進んで、論旨(イ)すなわち地下一階の階高を契約の寸法より一五〇ミリメートル低く施工したという瑕疵が民法六三四条一項但書にいう重要なものにあたるか否かの点につき検討するのに、前記証拠によると、この瑕疵により、地下一階について、その階高を予定より一五〇ミリメートル低くして意匠、容積に直接の影響を与えたばかりでなく、予定の変電設備を使用することができないという問接の影響をも与え、地上一階についても、その床面を予定より一五〇ミリメートル低くして建物全体の意匠に変容を与えたことが明らかである。もっとも、右証拠によると、階高不足による地下一階への影響は、変電設備を変更し、ダクトの形態を工夫して有効使用階高を高くすることなどにより相当程度に改善することが可能であると認められるが、それには相当多額の費用を要するほか、大梁下を通るダクト下部の有効階高を予定どおりに確保することができないという欠点を残すこととなり、また、地上一階の床面を低下させるという影響も、その床面上に軽量コンクリートを積むなどしてある程度改善することができると認められるが、これにより一階の階高がそれだけ低くなるという別の影響が生じる結果となる。そうしてみると、本件瑕疵は、重要でない場合には該当しないと認めるのが相当であって、この点の原判断には誤りはない。なお、右証拠のほか当審における事実取調の結果を参酌すると、所論のとおり、本件マンションの周囲に敷設される排水溝により、地上の流水がマンション内に流入するおそれは解消されると認められるが、この点は右の結論を左右するものではない。論旨(イ)は理由がない。

(四)  論旨(ロ)の検討に移るに、前記一の(二)(1)(2)のとおり、構造図三七図の寸法の記載が地下一階の階高不足を導いた重要な原因ではあったが、設計図全体を検討すればその記載が誤記であることが直ちに判明する状況であったのであるから、三七図の指定寸法をもって注文者の指図とみるのは正当でない。のみならず、本件契約においては、監理技師の指図によって瑕疵が生じた場合であっても請負人に重大な過失があるときには請負人の修補義務は免除されない旨の特約があり、この特約は監理技師が設計図面に基づく施工を請負人に対し指図した場合にも当然適用されると解されるところ、本件階高不足につき請負人たる岡崎工業の側に重大な過失があったことは前記一の(二)、(三)の事実経過にかんがみ明白というべきであるから、岡崎工業に修補義務のあったことは否定すべくもない。この点の論旨は理由がない。

(五)  論旨(ハ)及び(ニ)には告知義務をめぐる共通した問題が含まれているので、あわせて検討するに、所論は本件階高不足の事実を日動に対して告知する義務はなかったと主張するが、岡崎工業が本件起訴にかかる約束手形を日動に対し請求してこれを受領するに際し本件階高不足の事実を告知する義務を契約上も信義則上も負うていたことは、本件契約上、右階高不足が岡崎工業において修補すべき瑕疵にあたり、日動はその修補が終了するまで当該工事以降の工事に見合う約束手形の発行を拒絶することのできる立場にあったことに徴し、明らかである。また、所論は、本件契約上、工事の瑕疵の告知は監理技師たる武内建築事務所に対して行なうべきものとされており、直接日動に対して行なうべきものとはされていなかったから、本件の場合告知義務の不履行はなかったと主張するが、右契約においては、設計図面と工事現場の状態が一致しないことが判明した場合には岡崎工業は武内建築事務所に対しその事実を告知して指図を受けるべきものと約定されていたほか、右の場合において工事の内容、工期、請負代金を変更する必要があるときは日動、岡崎工業、武内建築事務所の三者が協議してこれを定めるものと約定されていたのであるから、岡崎工業が階高不足のまま工事を続行して日動に対し分割請負代金を請求するについては当然その了解を得る必要があったのであり、その前提として岡崎工業は日動に対し階高不足の事実を告知する契約上の義務を負うていたというべきである。のみならず、本件の場合には、階高不足の事実を岡崎工業側から告知された武内建築事務所側が、自己の設計、監理上の過誤を日動に責められることをおそれ、階高不足を日動に秘匿したまま本件工事を進めるとの態度をとったのであるから、信義則上からも、岡崎工業は日動に対し直接階高不足の事実を告知する義務を負うていたとみるべきである。

次に、所論に沿い、右の告知義務の不履行とこれによる本件約束手形の受領が詐欺罪における欺罔行為と騙取にあたるか否かにつき検討を進めるのに、本件契約における特約についてはしばらくおき、請負の工作物が完成しその引渡しと請負代金の支払いとが同時履行の関係に立つとされている民法上の原則のもとで請負人が工作物の瑕疵を知りつつこれを注文者に告知せずに代金の支払いを請求しこれを受領した場合の法律関係についてみると、この場合請負人に告知義務の違反があることは明白であるが、そのことにより直ちに請負人に請負代金自体を騙取した一項詐欺罪が成立するものと即断すべきではない。すなわち、前記二の(二)のとおり、右の場合、注文者は瑕疵の有無にかかわらず請負代金を支払う義務を負っており、ただこれと請負人の瑕疵修補義務等との同時履行を主張しうるにとどまるのであるから、請負人による右の告知義務不履行は、原則として、瑕疵修補請求権を行使する機会を注文者から奪うとともに、瑕疵修補義務等の履行に先立って注文者に請負代金を支払わせるという効果をもったにとどまり、支払義務のない請負代金を注文者に支払わせるという効果までをもったものではなく、したがってまた、請負人が注文者に対し右の告知義務の履行を怠って請負代金を請求し、これを受領した行為は、原則として、請負代金自体を騙取したという意味において一項詐欺罪を構成するものではなく、注文者に対して負う瑕疵修補義務等を免れるとともに、その履行に先立ち請負代金の支払いを受けて財産上不法の利益を得たという意味での二項詐欺罪を構成することがあるにとどまるものと解するのが相当である。

本件においては、前述のとおり、請負代金は月割りの分割払いと約定されており、その支払いは工程表に従った瑕疵のない工事の遂行と同時履行の関係に立っていたと解されるのであるが、その法律関係は基本的には上述したところと異なるものではない。ただ、請負人たる岡崎工業が工事の瑕疵を秘匿して注文者たる日動に対し分割請負代金を請求してこれを受領したのは、建物の竣工引渡前であって、未だ瑕疵修補義務等を免れうる段階に達していなかったから、岡崎工業の右行為については、瑕疵修補義務を免れたという点では二項詐欺罪を構成する余地がなく、自らの瑕疵修補義務を履行するに先立ち分割請負代金の支払いを受けて不法の利益を得たという点でのみ二項詐欺罪を構成することがあると解するのが相当である。そうしてみると、本件約束手形自体を騙取したとして一項詐欺罪の成立を認めた原判決には、すでにこの点において事実誤認、法令適用の誤りがあるというほかはない。論旨(ハ)及び(ニ)は、その結論において理由があるに帰する。

(六)  前記論旨(ホ)が理由のないことは、原判決の判示するとおりであって、説明を付け加える必要をみない。

三  控訴趣意第四点について

(一)  論旨は、被告人に詐欺の犯意を認めた原判決に対する事実誤認の主張であって、要するに、被告人には本件請負契約に従って行動をする認識しかなく、違法な事実を実現するという認識はなかったから、犯意は認められない、というのである。

(二)  すでに二の(五)で説示したとおり、本件において詐欺罪の成否が問題となるのは、岡崎工業が瑕疵修補義務等を履行するに先立ち日動に本件約束手形を発行させて財産上不法の利益を得たという点をめぐってである。この点に限定して被告人に詐欺の犯意があったか否かを検討するのに、原審で取調べずみの証拠及び当審における事実取調の結果を総合すると、前記一の(二)のほか次の事情が認められる。

(1) 岡崎工業側では、本件の階高不足を知った後、前記Cのもとで、地下一階の階高を三、三〇〇ミリメートルに修補する方法を検討し、二つの案を得た。第一案は、コンクリート打ちが済んでいる地下一階の床を取りはずし、一五〇ミリメートル下に新たにこれを取り付ける方法であって、工期三週間、費用五〇〇万円と概算されたが、この方法には工期が遅れるほか、地上一階の床面のレベルが一五〇ミリメートル下ったままで完全な修補にならないという欠点があった。第二案は、建方が済んでいる鉄骨全体を特殊なジャッキで持ち上げて地下一階の鉄骨柱と架台の間に一五〇ミリメートルの鉄骨を継ぎ足す方法であって、工期三週間、費用四〇〇万円と概算されたが、これにも工期が遅れるという欠点のほか、これまで岡崎工業では経験のない工法であるため施工に十分の自信がなく、また、鉄骨の強度について不安感を残すため日動の納得を得がたいという欠点があった。

(2) さらに、日動のA社長は、工事が始まって以来些細な点についても再三不備を指摘して是正を強硬に主張したり、工事の出来高が不足しているとして約束手形の発行を拒否したりしていた。そのため、被告人を初めとする岡崎工業側の者は、本件の階高不足の事実がA社長に知れれば、毎月の約束手形の発行を拒否されることはもとより、どのような難題を持ちかけられるかも知れず、ひいては本件工事が挫折するかも知れないと深く憂慮し、武内建築事務所の関係者もまた、右階高不足につき同事務所に設計、監理上の過失があったところから、階高不足の事実がA社長に知れて責任が厳しく追及されることを強く憂慮した。

(3) 地下一階の階高不足により前記二の(三)のとおり設計上予定されていた変電設備が納まらないなどの外部的影響が生じるほか、日動側が工事施行の状況や寸法の点検に気を配っていたという事情があったので、本件階高不足の事実が本件マンションの竣工引渡し時まで日動側に知れないままでいるという可能性は薄く、早晩日動側に知れるような状況であった。

(4) 本件約束手形の授受が行なわれた時点において、本件の工事はこれに見合う以上に進捗していた。

(5) 本件約束手形(三回目からの四か月分で合計一二通、額面合計一億三二〇万円)は、いずれも支払期日が一六か月先で工事竣工登記完了一か月以後とされており、工期が一八か月を超えた場合には岡崎工業がその超過月数に応じ期日到来分の既発行手形を買取書替えするものと約定されており、かつ、右登記完了後株式会社兵庫相互銀行がこれにつき支払保証をすることとされていた。こうした関係から、本件約束手形は、工事竣工登記完了前においては、工事代金の支払いを保証するための手形という実質を帯びており、現に岡崎工業では、本件約束手形を割引きに廻すことなく、一部を銀行担保に差し入れたにとどめていた。

(三)  以上の事情を総合すると、被告人が本件階高不足を日動に対し告知することなしに工事を続行させ、約束手形を請求させたのは、階高不足が日動に知れることにより工事の挫折を余儀なくされるような難題が持ちかけられることを憂慮するあまり、工事の完成を急いで既成事実を作り、これを背景に本件階高不足の問題を解決しようとしたためであって、本件約束手形を不正に早期に入手して利益を得ようとしたためではなかったと認めるのが相当である。被告人の検察官に対する供述中原判示に沿うかのごとき部分もその真意は右の点にあったものと解せられる。そうしてみると、被告人らの態度が甚だ不誠実かつ安易であったこと、及び、結果的には岡崎工業が本件約束手形を不正に早期に入手して不法な利益を得たことは明らかであるが、被告人が前記行為に出たことをもって、詐欺罪にいう欺罔の意思に基づくものとみるのは相当でない。したがって、原判決にはこの点にも事実誤認があり、論旨は結論において理由があることになる。

(結論)

控訴趣意第五点(共謀の存否に関する事実誤認の主張)、第八点(可罰的違法性に関する事実誤認の主張)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条を適用して原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い直ちに判決することとする。

本件公訴事実は原判決の認定した「罪となるべき事実」と同一であるが、これについては犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 瓦谷末雄 裁判官 香城敏麿 鈴木正義)

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